2013-09-01
 Garage EDEN Blog


「 しんちゃん先生とむかしばなし 」







この間 FACE BOOK に書き込んだこと。

きっかけは小学生時代の少年野球で同じチームメイトで今でも旧友で居て、それで
そいつとは中学も同じ学校でそのまま高校も同じ高校でクラスこそ違えど、同じ工
業高校の中の電気科の1組と2組で(俺は2組)、そいつが見つけてきた記事からだっ
た。

これがその記事です。しんちゃん先生おめでとう >>> 新聞記事


※ 以下先日 FACE BOOK に書いたこと。(一部修正)


おいらねぇ〜本当は高校を卒業する間近の頃、とある一応有名な企業さんに内定が決まっとったんだわ。
そう電車乗りになる予定だっ
たみたい。
別になんの気もなく求人表にあった1番休みが多い仕事
がそれだっただけ。
休みが沢山あれば釣りとかに行ける気がしてた
から。

でね、卒業のギリギリ前になって、ふとなんだかこんな風に仕事を決めていいもんかって急に思ってさ。

そんで、ボランティアしに海外いこまい!って思ったんだ。
そんでそれをセンセに相談したら

『おい、JB今はそういうのだって簡単にやれるもんじゃね〜ぞ。なにやら少しは役に立つような資格の
 ひとつくらいでも持ってないとな・
・・』と言った。

それで俺が「じゃぁ、それってどんなもんがあったら便利なん??」と聞くと。

『例えば〜そうだなぁ〜看護師とか・・・そういうのとか・・・』

「おう!じゃぁそれだ!俺やっぱりそれにするわ!ごめんね、就職蹴っておいて!!!
 ・・・あ、ついでに看護師になるのってどうすればいいの??」

『・・・おい・・・お前・・・』

ってなことがあった。

え〜っとよくよくは知らないんだけどさ、求人がきとってそれを受けてから受かっておいて、それを蹴
る・・・それがいかに大変なことで学校やその後の卒業生に大迷惑かを当時の俺は知らなかった。

さらにはその後、偶然にも先生の奥さんが看護師だったもんでさ、家にまで呼んでもらってメシまでも
らいつつの人生相談にも乗ってもらってね。

いろいろあったんだわ。

挙げ句の果てには俺は工業高校電気科でさ、その上ラグビーしか在籍中はやっとらんもんで、勉強なんて
のはさっぱりだったしね。

浪人覚悟で一応「来年へ向けて(すでにその年には絶対受からないって言われたし、そもそも願書が出せ
る学校がすでにその時期には二校しかなく、試験ってこんなんだぞってのを味わう程度のつもりだった)
勉強してみろ!」って言っていろいろとやってくれたのが先生。

ま・・・まさかのことで見事にその年の試験に受かって、看護の専門学校へ行って、2年間首席を取って
(これは本当のお話です)・・・そんである日急にまた別のことを思って、自主退学しました。

まぁ〜迷惑かけたねぇ〜先生には(あと親にもね)。

その後今に至るんだけど、先生は山登りをやっとってさ、もう随分と昔だけどこの仕事になってから1度
なぜだかイタウ部長も「一緒に行く!」ってなって先生と一緒に槍ヶ岳(高いぜ〜)まで登ったよね。

まぁいろいろと人生はあるもんだ。

あるもんだ。

先生ホントウにおめでとう!!!!



※ 引用ここまで


人生っていろんなことがある。
特に人との出逢いが大きく人生を左右すると思うんだ。


「先生」という響きは幼少期から苦手だったし、今でも苦手。
高校に入る前にはそういった先生と呼ばれる人たちに自業自得な部分は沢山あったにせよ
ゴミだとかクズだとか散々言われた。まぁ実際にそうだったのかもしれないけれど。

傷付いたことがなかったと言えば嘘だろうけど、別に気にもならなかった。
それは自分にも原因があることくらいは分かっていたから。
けど、やっぱり言って欲しいと思える言葉じゃないよね。
特に「先生」という肩書きを持つ人であれば尚のこと。

で、高校で出逢ったこの先生はちょっと違った。
歳も近かったし元の性格かもしれないけど。(しゃべりも性格もふんわりな人だったから)

特別に特別な言葉をくれたかといえばそういう訳でもなかったし、部活がメインの高校生
活の中で一緒にいる時間が多かった訳ではなかった。
けれども俺はこの人をすごく信用していた。
尊敬もしていた気がする。

引用の中にも書いたけど卒業してから何年かして山登りをしたいと思ったことがあった。
いつものごとく急に思い立ち、自分だけで実行するのも億劫でそういえば先生は山登りの
スペシャリストだったことを思い出した。
そんで電話して「連れてって!」と言った。

当時はまだ毎日うちの店にいち FAMILY として遊びに来ていたイタウもなぜかその話をす
ると「俺も行きたい!」と言ってついてきた。

卒業前のあの時、頭ごなしに「就職しろ、もう決まったことだ」と言われていたら今はど
うしていただろう。
無理をして内定をもらっていた俺の尻拭いをしてくれたのはきっと先生だったんだろうな。

場当たり的に看護の道へと1度は進んだのだけど、行った結果それはとても自分にとっては
大きな糧とはなったんだ。幼少期から「死」という見えない世界に興味のあった俺はどんど
んとその深みにハマっていっていた。看護という勉強とその先にあるそれを仕事とすること
にも興味はあった。
元々高校の時代には部活しかしていなかった俺は部活が本の中と実際的な勉強というものに
置き換わっただけで、それはそれで楽しかったし没頭していたようにも思う。だから結果と
して成績は良かった。今にして思えばある意味当たり前のことで勉強しかしていなかったの
だからそうだったのかもしれない。

辞めることを決めたことにも俺は俺なりの理由もあった。
自分がどんどん興味を持ち始める「死」は「生」へも繋がっているということ。

死ぬ為に精一杯に生きる、生かされるということだと思った。

ただ、医療や看護の世界においてはそれは自分の命を扱うのではなく他人の命に触合うこと
でもある。
そういう中でこの先に自分がこれを「仕事」として向合えるのか疑問になった。
今では少しまた考え方も違ってきたんだけどね。
当時は若かった分きっと今よりももっと頭が硬かったようにも思う。

命に触合うことを仕事として、それで日々の生活を送ること。
どこかで自分の中にブレが起こることが恐くなったんだ。
生活の為に、誰かの命を守るような。

今に置換えるとさ、売れる為にモノを作るようなこと。かもしれない。
これもきっと同じ。
もちろん生活もあるから当たり前のことなんだけど、それはやっぱり難しいこと。

今でもやっぱり悩むもんね。

ただ、まぁ今は当時のお話。
そう思ってしまったら、やっぱりもうそこには俺の居場所はないように感じた。
辞めたというよりは恐くて逃げ出したと言った方が正しかったかもね。

まぁいろんなことがあったんだわ。
当たり前だけど。
それでもあの高校の終わりの頃、その道に行かなかったら。
あの時先生に「クズだからもうお前は知らん」とか言われてその先の道を亡くして
いたら今には辿り着いていないもん。

そう思うとやっぱり先生には感謝しているんだわ。
そして、今になって思えばガキの頃俺を虐げた先生達も居てくれたから(良い思い出ではなくとも)
「今」があると思えている。

曲がり角ひとつ。
直線を歩く3歩。

そんなものでも人生は大きく変わるような気がするから。

今を大切にすることしか今の俺には出来ないから。
まだまだやろうと思います。







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